コミュニケーション・ラボ
地代所明美の「ハッピー・タッチング」コラム バックナンバー
第5回
「子どもはああしてもこうなりません」
最近、養老孟司先生の「超バカの壁」(新潮新書)を読みました。
「バカの壁」をお読みになった方も多いかと思いますが、本書は養老先生の「バカの壁」「死の壁」と続く「壁」第三弾にあたるようです。とはいえ、地代所は「バカの壁」を読んでいません。「大ベストセラー!」といって本屋さんでドサッと平積みされている本って、「何だかな、今更読むのもな・・・」と気後れしてしまってなかなか手が伸ばせないのです。でも折にふれ気になっていて、「あーあ、大ベストセラーになる前に読んでおけばなぁ」とわけのわからない後悔をしたりします(だから、買えってば)。
で、「超バカの壁」。
まだ「大ベストセラー」って言われてないから、といそいそと買いましたですよ。ものすごく良い本でした。「子供の問題」という章で、「少子化はなぜ起こるのか」に始まり、子供そのものの価値が認められなくなった今どきの傾向について鋭い考察が展開されています。皆さんともシェアしたく、ここにいくつか転載します。
「子供を大事にするというのはどういうことか。それは『手入れ』の問題だと思います。お母さんが毎日のように飽きずにああしちゃいけません、こうしちゃいけません、こうしなさい、ああしなさい、と言い続ける。子供とはそうやって毎日手をかけていかなくてはいけないものだからです。(略)クルマならば悪いところを交換すればそれで当分何ということはない。しかし相手が自然(子供)ならば、少しずつ相手を見ながら毎日毎日手入れしていくしかない。それは稲を育てるのと同じです。
その手入れを上手にするためには根気が必要なのです。相手の存在をきちんと認めなくてはいけない。自分の生活の付録みたいに思っていてはいけない。
まともな親なら子供の存在をきちんと認めているはずです。毎日心にとめている。そうしていれば大体普通に育つ。その行為は頭で考えた結論に相手をあてはめていくというのとはまったく逆なのです。」
「『ああすればこうなる』式の原理が通じるのは実は思っているよりも限られた範囲だと知っておいたほうがいいのです。これが第一原理になるとまずい。子供はああしてもこうなりません。どんなに一生懸命働いても米が不作ということはあります。労働が対価に見合わないといってサラリーマンならば起こって会社を訴えることもできるけれど、農家はお天道様を訴えるわけにいきません。
毎日子供の様子をみるのは大変です。会社の仕事に集中すると子供の方が留守になりがちです。しかし毎日手入れを続け、子供の様子を見ていれば親の方にも努力、辛抱、根性が身についてくるものです。もちろん、それは親のためになるのです。」
子供はああしてもこうなりません-。
明快ですね。
ああしてもこうならないのはそれはそれは大変です。だって「想定外」なことがたくさん起きるんですものね。でも、だからこそ、大きな喜びもあり、新しい発見もありますね。
養老先生に言われると、私は非常にばっさりとあきらめもつきます。
「そうそう、そうだったね、ああしてもこうならないんじゃ、しょうがない、毎日きっちり向き合うしかないか。望むところだぁ」ってなものです。
つまるところ、「ああしてもこうならない」ことをどれだけ自分のものにしていけるかってことかもしれません。
「ああしてもこうならない」系のものをどれだけ抱えていられるか、それが生き方の幅や輝きにつながるのかなあと思います。
そして、「ああしてもこうならない」はずの子どもは、だからこそ「思いもかけない」贈り物をたくさん届けてくれます。
それは、
「あなたが大切」「ありがとう」「信頼してます」「あなたがいるから幸せ」
という、まっすぐ心に届く嬉しいメッセージです。
温かくて強くてゆるぎない「絆」です。